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駆け出しエンジニアの気ままにブログ

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【本まとめ】漫画 君たちはどう生きるか をまとめてみる。  

新年あけまして、おめでとうございます。。

今年の最初は、昨年流行った「君たちはどう生きるか」を、まとめていきたいと思います。

自分の目標を考え直す、新年にもってこい!の良書です。

多感な中学生の主人公が、日常へのちょっとした疑問や友人とのちょっとした問題から、経済や社会、哲学を学ぶさまを描いた名作で、漫画版は読みやすく、1日で読みきれます。

「君たちはどう生きるか」このタイトルの力はすごいなーと関心してしまいます。

今も昔も、人は「どのように生きるか?」というテーマについて悩むのは変わらないようです。

人は、日々、小さな社会の中で生きている。それは、フラクタルとなっていて、大きな社会に通じる。友人を怒らせてしまった出来事を突き詰めて考えていけば、民族紛争などの大きな国際問題にぶち当たる。


学校において「社会を学ぶ」ということは、小さな社会(大きな社会のフラクタル)の中で発生する物事・経験の一つ一つをしっかりと見つめ、分析し、自分自身の考え(正義、大義、意義、意味)を持つことなんだなと改めて考えました。

以下、面白いなと思った内容と、気づきをまとめます。

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肝心なことは、自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。 もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きてゆこうとするならば、それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。
肝心なことは、世間の目よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。


外山滋比古先生が「グライダー人間」という表現をされていたのを思い出しました。

学校をはじめとしたコミュニティは、意図の有無に関わらず、偏った知識を扇動してしまいます。

自分の頭で考え、自分の進むべき道を自分の魂で決めることの大切さ。そして、そのためには自分の感じ方やその理由をしっかりと見つめることの大切さ。そんなことを気づかせてくれる言葉です。


人間の本当の値打ちは、いうまでもなく、その人の着物や住居や食物にあるわけじゃない。どんなに立派な着物をきて、豪華な屋敷に住んでみたところで、バカな奴はバカな奴、下等な人間は下等な人間で、人間としての値打ちがそのためにあがりはしないし、高潔な心を持ち、立派な見識を持っている人なら、たとえ貧乏をしていたってやっぱり尊敬すべき偉い人だ。


人間の値打ちの具体例として「高潔な心を持ち、立派な見識を持っている人」をあげています。

立派な見識というのは、知識や分析力といったものですが、それだけでなく、「高潔な心」、「まっすぐな心」など、心についての言及が何度も出てます。周りに流されず、自らの感じ方、自らの正義を大切にできる人が尊敬すべき偉い人だと。

理念を掲げビジョンを描く、ビジョナリーな人たちに当てはまる内容だなーと、そんなことを思いました。


世の中の人が生きてゆくために必要なものは、どれ一つとして、人間の労働の産物でないものはない。いや、学芸だの、芸術だのという高尚な仕事だって、そのために必要なものは、やはり、すべてあの人々がひたいに汗を出して作り出したものだ。
人々の労働なしには、文明もなければ、世の中の進歩もありはしないのだ。
消費は悪いことではない、ただ、何も生産しないで消費ばかりしている人間と、多くのものを生産して世の中に送り出している人と、どちらが立派な人間か、どちらが大切な人間か。
この点から見てゆくと、大きな顔をして、自動車の中にそりかえり、すばらしい邸に住んでいる人々の中に、案外にも、まるで値打ちのない人の多いことがわかるに違いない。
また、普通世間から見下されている人々の中に、どうして、頭をさげなければならない人の多いことにも、気が付いてくるに違いない。


ここでは、値打ちのある人として「価値を生み出している人」という例があげられています。

人の値打ちを見積もるとき、生活の裕福さに目が奪われがちですが、生み出している価値に目を向ける、そんな視点がとても大事だと教えてくれる名言です。


僕たちがナポレオンの生涯をみて驚嘆するのは、そのすばらしい活動力のせいだという、この一事を、君たちは決して忘れてはいけない。
僕たちは、ナポレオンの偉大な活動力に驚嘆しながらも、なお、こう質問してみることができるわけだ。ナポレオンは、そのすばらしい活動力で、いったい何をなしとげたのか。と。
僕たちは、彼らがその非凡の能力を使って、いったい何をなしとげたのか、また、彼らのやった非凡なこととは、いったい何の役に立っているのかと、大胆に質問してみなければいけない。
こう質問するとき、僕たちはしっかりと、何万年にわたる人類の長い長い進歩の歴史を思い浮かべていることが肝心なのだよ。


偉大な人間は「活動力が大きい」と分析しつつ、「人類の長い進歩の歴史でどんな活躍をしたのか」を考えることが肝心だと主張しています。

ここで、「人類の進歩の歴史」という、非常にマクロな視点に立つと、自分自身の人生の有期性にも気付かされます。 人生は長くても100年。活動的に生きられる期間はもっと短く、ナポレオンであっても10-20年。この限られた期間の中で何をするのか。

人類の歴史の中で、偉人たちはどんな貢献をしたのか、自分はそれをどう感じたか、を自分の頭で考えること。そういったことが、自分の生き方、「どう生きるか?」を決めていく上で必要な思考だと教えてくれます。


人間は自分自身をあわれなものだと認めることによって、その偉大さがあらわれるほど、それほど偉大である。樹木は、自分をあわれだとは認めない。
本来王位にあるべき人が、王位を奪われていれば、自分を不幸だと思い、自分の現在を悲しく思う。彼が、現在の自分を悲しく思うのは、本来王位にあるべき自分が、王位にいないからだ。
健康で、からだになんの故障も感じなければ、僕たちは、心臓とか胃とか腸とか、いろいろな内臓がからだの中にあって、平生大事な役割を勤めてくれているのに、それをほとんど忘れて暮らしている。
ところが、からだに故障ができて、動悸がはげしくなるとか、おなかが痛み出すとかすると、はじめて僕たちは、自分の内臓のことを考え、からだに故障のできたことを知る。からだに痛みを感じたら、苦しくなったりするのは、故障ができたからだけれど、逆に僕たちがそれに気づくのは、苦痛のおかげなのだ。
苦痛を感じ、それによってからだの故障を知るということは、からだが正常の状態にないということを、苦痛が僕たちに知らせてくれているということだ。
苦しみのなかでも、一番深く僕たちの心に突き入り、僕たちの目から一番つらい涙をしぼりだすものは、自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったという意識だ。自分の行動を振り返ってみて、損得からではなく、道義の心から、「しまった」と考えるほどつらいことは、おそらくほかにはないだろうと思う。


あるべきものがないことにより、人間の苦しみや悲しみは生まれる、という考え方。

人は、アイデンティティを自分で決めている。苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、含めて、考え方や意識次第なのかもしれません。苦しいときや辛いとき、悲しいとき、この視点を思い出すことで、意識を変えることもできそうだと。そんなことを思いました。


ということで、今回は以上となります。

2018年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m


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